リュウカンパニー社内インタビュー

【リュウカンパニー社内インタビュー】

Lyu Kamikage
この記事では弊社株式会社リュウカンパニー(LYUCOMPANY CO., LTD.)の代表を務める神影 隆一の35年以上ヨット業界のキャリアとヨット・クルーザー文化に対する想いをご紹介します。
代表 神影 隆一のプロフィールはこちら

01神影代表のご経歴と自己紹介をお願いします。

リュウカンパニー代表の神影です。弊社は日本に限らず、モナコ・イタリアなどのヨーロッパ圏に持つ独自のネットワークを活かして、欧米のヨット文化を日本の方々にご案内しています。ただ高級ヨットを販売するだけではなく、ヨット文化のライフスタイルもご提案します。弊社はヨット業界で35年以上サービスを提供させていただいております。

02神影代表がヨットビジネスに関わりを持ったきっかけは?

元々はヨットや海とは関係ない仕事をしていました。当時勤めていた会社の方がたまたま個人でキャビンを持たない小型の船舶「ディンギー」という小さなヨットをお持ちで、「週末にプライベートでヨットに乗りにこないか?」と誘われたのがきっかけです。そこからどっぷりとヨットやクルーザーの魅力にはまりました。ですので、私は趣味からヨット業界に入ったのですが、ちょうどその頃は昭和のバブル期という時代背景もあり、関西から関東に上京、ヨットビジネスを始めました。

03神影代表のご経歴のなかから幾つか質問します。時を遡りまして… 「1990年から1993年に個人で数回に渡りヨーロッパ、アメリカマーケット視察」とありますが、これはヨットビジネスの視察でしょうか?

はい。私は趣味からヨットビジネス業界に参入したため、当時の自分はノウハウや業界のネットワーク、専門的な技術を持っていませんでした。どうせこのヨット業界でビジネスをするなら日本で1番になりたかったので、世界をみてみようと思いヨーロッパやアメリカへ海外視察に行きました。

04ご経歴に「1993年から2000年にセーリングヨット”FOUNDATION 42ft 建造マネジメント&キャプテン」とありますが、【建造マネジメント&キャプテン】とは具体的にどのような役割をされていたのでしょうか?

当時、知り合った日本人オーナーが将来的に一生に残るようなセーリングヨットを作りたい。その素晴らしいヨットをできれば娘の嫁入り道具にしたいというオーダーを受けました。

ちょうど、その頃にアメリカ視察を通して素晴らしいヨットに出会い、船を作る決意を固めました。造船の工程管理をしながら、情報収集の目的でアメリカへ3ケ月の滞在を数回にわけて、クルーザーの建造、メーカーなどを勉強しました。

その後、日本人オーナーから、「ちょっとしたヨットの草レースを一緒にやろうよ!」とお誘いを受けて、アメリカ東海岸のレースに参加。結果的に3つすべてのレースで優勝してしまった。

当時は遊びとはいえ日本人オーナーはお金を出されるので、私はどうしてもオーナーを満足させたくて、ひとつのプロジェクトとして妥協のない組織作りをしました。それは現地の優秀なアメリカ人を集めてチームを作り、勝つために日本人、アメリカ人とチームワークの強化に徹した結果、レースに優勝できた。これは日本人で誰も成し遂げていません。

05ご経歴の「2000-2007 Nautor-Swan 正規日本ディーラー取得15艇販売」の経緯は?

日本はちょうどリーマンショックの時代でした。その頃にヨットブランドのメーカー『Riva』と知りあうキッカケがあった。当時のイタリアも日本と同じように急に景気が悪くなってしまった状況で、お互いにWin-Winになろうと誓いRiva の正規代理店となった。Rivaは25年間ずっと日本に正規ディーラーがいなかったため、日本で唯一、個人のRiva正規代理店になりました。

06当時を振り返って思い出深いことや苦労されたことはありますか?

先程お話しした通り当時のイタリアは不景気でヨットの販売手数料をイタリアが払えない事態がありました。それで、仕方がなくRivaの権利を譲渡するか手数料の即払いを請求するような強気な交渉に出たことも過去にはありました。最終的に日本の販売ディーラーで合意できましたが、今思えば、ピンチをチャンスに生かすことができた。元々、Rivaのクルーザーやヨットに対する想いが強く、自分が扱うなら1番の船を取り扱いたかったので、それを現実にできました。

0727年ぶりに日本にRivaの船を持ってこられた快挙をなし得た理由を教えてください。

何もないゼロでのスタートで妥協しなかったことは他の人、他の会社がおこなっていない仕事をおこなう気持ちを曲げなかったことと35年同じ業種に専念したことです。どうすればオーナーが喜んでいただけるか?元々関西人なので人を喜ばせるのが好きで、不景気な時代も常にポジティブに、“なんとなる”という根性と失敗するガッツを持っていました、失敗しても自分やチームで解決する自頭を持てたのは経験、その一言です。

当時、日本にRivaの船を持ってきたとき、このヨット業界は狭いですから、当時、自分がRivaの販売権利を得たことは、周囲はあっけにとられていました。「何もない神影がなんで販売権利を?」みたいな状態です。ブランドレベルでいえば、それこそ個人でロールス・ロイスやフェラーリの正規販売の権利を持っているようなものです。周囲からは賛否どちらの意見もありましたが、自分は周りの発言や評判は気にせずに、Rivaのヨット・クルーザー販売に邁進していました。

0827年ぶりということは、27年前にも日本にディーラーがいたのでしょうか?

その前は大手の商社・株式会社IHI(石川島播磨重工業)がRivaの正規ディーラーをしていました。ところが昭和のバブル崩壊で事業から撤退し、それ以降も大手商社が販売の権利を獲得することはなかったため、27年間は日本の正規販売店はなく、国内でRivaに乗れる機会はほぼなく空白の時代が続きました。

09神影代表が日本にRivaを初めて持ってこられたときの気持ちは?

憧れていた船を日本に持ってこられて、それはもう気持ちが昂りました。2008年にディーラーになってから、最初はなかなか売れませんでした。イタリアの販売圧のプレッシャーもあって、2013年に国内で1隻を販売。それこそ感無量でした。『自分はやれるんだ』と自信にもなった。その後は、自分も勢いに乗れて、販売を広げていきました。ヨット・クルーザー業界も「日本にもとうとうRivaが来たんだ!」と話題になり、着実に販売実績を積み重ねることができました。

10Rivaの正規ディーラーには販売目標数のようなものはありますか?

もちろんあります。毎年モナコで開催される正規ディーラーが集まるリーダーミーティングでは年間でどこの国が一番販売したとか、マーケティングはどこが一番優秀だったかなど表彰があります。私は2015年、2016年にアジア圏で初めてマーケティングでトップになり表彰されたこともあります。

11Rivaの正規ディーラーとして契約後、最初はクルーザーチャーターではなく、販売がメインのビジネスだったのでしょうか?

そうです。当時は販売がメイン。当時の日本にはクルーザーをチャーターする文化がなかった。今も販売が主流ですが、弊社ではRivaのクルージングを体験していただくために高級クルーザーのレンタル・チャータービジネスもしています。2023年現在、日本国内でRivaやPershingの高級クルーザーレンタル・チャーターをできるのはリュウカンパニーだけです。

クルーザーのレンタル・チャーター以外だと日本国内で、個人でRivaをご購入されたお客様にカスタマーケアをおこなっています。カスタマーケアは非常に重要で、お客様に満足していただける環境を整えるのが一番大事だと思っています。ただ販売して利益を得ましたでは終わりません。船は海上に浮いている乗り物なので、メンテナンスや環境をきちんと整えることが安全面でも非常に重要です。

また、これまで海外で実際にみて、体験してきた欧米人の遊び方、お客様へのサポートを長く勉強してきたので、それを日本国内のお客様にも素晴らしいサービスとして届けたい。

12神影代表がヨット・クルーザー業界でこれまで35年携わってこられた理由は?

一言でいうなら「お客様のおかげ」です。そして、日本人の素晴らしいオーナーとの出会い。Rivaをお持ちになるお客様から我々が知らない文化や世界を教えていただいた。 とにかく1番のクルーザーを取り扱いたい、一流なサービスを手掛けたいと今も勉強中です。

13この数十年を振り返って、嬉しかったことは?

嬉しかったことは「リュウカンパニーから船を買って良かったよ!」とお客様に言っていただけること。あとは長期に渡って継続して我々が船のケアや管理をさせていただけることです。それは自分たちの仕事をお客様が評価してくださっていると考えています。リュウカンパニーは、お客様にご満足いただけるように他社にはないきめ細やかなサービスを展開していると自負しております。

14神影代表は2002年からヨットマネージャーとして世界のヨットレースに数多く参加されています。そのなかで特に思い出深いレースはありますか?

自分がRivaの船を取り扱う前の話です。セーリングヨットのロールス・ロイスと呼ばれる、スワンというヨットがあります。会社のオーナーはフェラガモファミリーのひとりの方なのですが、その方は日本人のオーナーでセーリングヨットが大好きで、突然「神影!イタリアのサルジニアで2年に一回開催されるスワンワールドカップに出場したい!」と仰いました。

そのオーナーは参加するだけで満足とはいかなく、大変シビアな方で妥協をまったくされない性格でした。「レースに出るからには必ず優勝したい」とのことで、ヨットレースのためのプロジェクトマネジメントを任せられた。当時は活動拠点がスペインにあったのですが、スペインの現場スタッフやチームとコミュニケーションをとって「どうすれば勝てるのか」を妥協せずに考えて出場。2014年のスワンカップで世界から110艇のエントリーで優勝しました。

私はサポートボードに乗りトラブル発生時のシステム構築や、トラブル回避に従事していました。アメリカのレースを制覇した後にヨーロッパのレースも制覇しました。

同年の少し前には『Rivaトロフィー』というタイムトライアルレースにも参加。これはRivaの船しか出場できないレースですが、当時の日本人オーナーが1968年製造のマホガニーのRiva(Ariston)をご購入されて、モナコからカンヌ、カンヌからサントロペ出場して、2014年はそれにも優勝しました。セーリングヨットの“スワン”で優勝、ウォーターボートの“Riva”でも優勝できた。

15現在も日本人の方でセーリングヨットのマネジメントされている方はいますか?

もっとプロフェッショナルな人達は大勢います。彼らと私との考え方が若干違うとすれば「いかにオーナーに満足いただけるか?」です。レースに参加するならチームで勝ちたいし、オーナーも満足させたい。今後も機会があればまた取り組みたいと思っています。

16今後の展望と読者様へのメッセージをお聞かせください。

ヨーロッパ・欧米のyachting(ヨッティング)文化を新しい世代の方々に案内させていただいて、もっともっと日本人にとって洋上をインターナショナルなものにしていきたい。

日常の旅行もそうですが、皆さんはどちらかというと飛行機や電車に乗って移動して、旅先では荷物を持って陸上を歩きながら観光します。ヨット・クルーザーチャーターは一度乗船したら、手段は船だけ。快適な船の移動と洋上で遊ぶ環境をぜひ体験していただきたいと思っています。そして、この素晴らしいヨッティング文化を日本にもっと根付かせていきたい。これは弊社の挑戦でもあり新しいプロジェクトです。

インタビューの回答ありがとうございました。

弊社リュウカンパニーはこれからも欧米のヨット文化の紹介やお客様のクルーザーチャーターを素晴らしい体験となるようにご提案・サポートします。